グラスの底に残った氷が、ゆっくり音を立てる。
話はもう仕事でも数字でもなくなっていたけれど、席を立つ理由にはまだならなかった。
伝票が置かれた瞬間、反射的にスマホを取る。
いつもの動作。
その前に、向かいから軽い声が落ちてきた。
「今日は、全部こっちで」
言い切りでも強調でもない。
ただ、慣れている言い方。
それが逆に、胸の奥に引っかかる。
「え、いいよ。割ろう」
そう言いながらも、指は画面を閉じたまま。
否定するほどでもない。
でも、受け取るほど軽くもない。
「さっきの話、もう少し続き聞きたいし」
距離は変わっていないのに、
声だけが近づいた気がした。
触れられていない。
それなのに、視線を外す理由を探してしまう。
金額は、たしかに大したことはない。
そう言われたら、反論もできない。
でも――
“払う”という行為が、
時間まで含めて差し出されているようで。
終電まで、まだ余裕はある。
帰れる。
帰らなくても、誰にも責められない。
「……ちょっと考える」
そう言って立ち上がると、
「うん」とだけ返ってきた。
店を出た夜風が、少し強い。
何も決めていないのに、
決めなかったことだけが、
やけに鮮明に残る。
「じゃあ、また」
その一言が、
いつもより少し遅れて届いた。
🧭 今日の道しるべ
あなたは今夜、
“払われそうになったもの”を、
どう扱いますか?
