帰ってからも、ずっと落ち着かなかった。
頭の中はふわふわしていて、
何かを考えようとしても、すぐに別のことが浮かぶ。
鍋に火をかけて、
野菜を切って、肉を入れて、
ルーを溶かして。
気づいたら、シチューができていた。
……多い。
明らかに一人分じゃない量。
ぼーっとしてた証拠。
しばらく鍋を見つめてから、
小さく息を吐く。
「……持っていくか」
今は正直、顔をちゃんと見られる自信はない。
でも、この量を一人で食べるのも違う。
そう思って、鍋を持った。
ピンポーン。
インターホン越しに聞こえる足音。
ドアが開く。
彼はまず、私の手元を見た。
それから鍋。
次に、顔。
一瞬、間があって。
子どもみたいな笑顔。
「……え、シチュー?」
「作りすぎちゃって」
それだけ言うと、
彼は少し目を丸くしてから、すぐに言った。
「よかったら、一緒に食べませんか?」
そんなつもりじゃなかった。
でも断る理由も見つからなくて。
気づいたら、また彼の部屋にいた。
二回目だから、
部屋自体にはもう緊張しない。
でも——
彼を見ると、だめだった。
美味しそうに食べる横顔。
スプーンを動かす指。
たまに合う目。
「美味しいです」
その一言で、
胸の奥がじんわり熱くなる。
食べ終わって、片付けて。
テーブルに向かい合って座る。
たわいのない話。
大学のこと、仕事のこと。
……内容は、ほとんど覚えていない。
彼が、やけに格好よく見えて。
空気が、少しだけ近い。
そのとき。
彼のスマホが鳴った。
画面が、ふと見える。
——女性の名前。
それだけで、
一気に現実に引き戻された。
「あ、私そろそろ……」
立ち上がると、
彼は少し驚いた顔をしたけど、
止めなかった。
部屋を出て、
ドアが閉まる。
廊下の静けさの中で、
ようやく息をする。
……そうだよね。
勝手に期待して、
勝手に熱くなって。
自分で、自分にブレーキをかけた。
鍋の余熱みたいに、
胸の奥はまだ温かいままなのに。
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▶︎ sp7 へ続く
「お隣の大学生の彼女、登場」
🧭 今日の道しるべ
“何も起きなかった夜”ほど、
心に残る理由は何でしょうか。
