他人に期待をしてはいけない、これは有名が言葉です。
私自身、最近は至るところで「期待してはいけない」という言葉を見るようになりましたが、自分自身でも期待するから辛くなるというのを実体験していたので、自分のストレスをなくすためには、他人に期待しちゃダメだと思っていました。
結局、自分のためにすること、自分のために行動する、たとえ他人に利益や恩恵が行くことであっても、自分がやりたいと思ったからやっているというように思うようにしています。
そうしないと、他人に見返りを求めたり、他人からの謝辞を求めることになるからで、思惑どおりにいかなければ、ストレスになってしまいます。
他人からしたら、別にやってほしいなんて言っていない、あなたが勝手にやってくれたことでしょ、ってなるんですよね。
だからこそ、他人に見返りを求めるのではなく、自分の気持ちを収めるために行動したと思う方がスッキリして、ストレスが受けにくくなると思うわけです。
複雑だけと単純な話です。
けれども、この単純さに厄介なものが付いてきます。
それがお金と時間です。
やる、やらない、というのを、たとえ自分の気持ちに正直に生きて、正直に行動したとしても、これらの行動にはお金と時間が必要です。
自分自身の気持ちで動いていたとしても、お金が自分から他人に移動しますし、それがモノに変わって移動することもあります。
時間に関しても、自分が動ける時間から捻出しているわけですから、それは他人に貴重な時間を分けたことになります。
このお金と時間への解釈が一番難しいところです。
他人に期待してはいけない、自分がやりたいからやったこと、そのように思えても、現物としてお金を使ったり、失ったり、時間を使ったり、消費したりすると、やっぱり人間なので、何か見返りが欲しくなってしまうんですよね。
そうでないと、お金や時間を使う意味がないですから。
生活でも、少なからず、何かモノが手に入ったり、サービスを受けたりするものだから、自分のお金を出したり、時間を使ったりするものじゃないですか。
そこに、自分の趣味や自分がやりたいからというバイアスをかけて解釈するものだから、気持ち的にモヤモヤしてくるのだと思っています。
こんなことを考えるから、他人と関わることに疲れてくるんですよね。
やっぱり最終的には、株式投資が一番楽だと思ってしまうんですよね。
株はお金も時間も使いますが、結果に対してはドライですし、そこに感情で動くようなバイアスもないですし、巨大なマーケットだから文句を言っても仕方ない、動かしようがない。
だからこそ、諦めがつくのかなと思っています。
少人数かつ、他人の思惑が強く出るようなものに、お金と時間を費やすのが本当に嫌になることがあります。
他人って、自分の考えとベクトルが合うわけがなく、それが普通のことで、当然のことです。
自分にも正義があるように、他人にも正義があるんです。
そのベクトルがずれていたり、ましては逆方向だったりすると、それが反発の火種になるのでしょうね。
他人に期待してはいけない、短い言葉ですが、非常に深く、重い言葉だとつくづく感じました。