結局、学校の先生もサラリーマンなんだなと思う。
先日の記事で書きましたが、親の私が三者懇談でクラス委員にはなれないという話をしたのにも関わらず、先生から打診されてクラス委員になってしまった事件。
私の話を聞いていないので、先生に電話で問い詰めたところ、「失念していた」といういいわけと共に、他の生徒でやっても良いと言っている人にお願いしてみるという話で終わっていました。
結局、その生徒が変わってくれることになって、決着したそうで、後日の学活でクラスには話をすることで決まったようで、その件を電話で報告されました。
まあ、クラスのメンバーの反応がどうなるか分かりませんが、理由は、「放課後に用事があって委員会に出席できない日があるから、クラスに迷惑をかける」という説明をするようです。
後は先生がどうフォローするかで決まると思います。
とはいえ、この一件で、学校の先生も所詮はサラリーマンなのだなと思えた内容があります。
教育の場であり、自分で自由に決められるのであれば、先生も先生として自覚を持ってほしいものです。
最もいけないのは、親の話を失念してしまうこと。
本当に忘れていたのか、真実は分かりませんが、それをスルーするのはダメなことです。
親は子どもの人生をかけて育てているのですから。
■学校の先生も結局のところサラリーマン
変わってもらえる生徒は、事前のアンケートで、「立候補がいなければ、委員をやっても構わない。どんな委員でもOK」という回答をしていたそうです。
けれども、その子には、今回、最初に声がかからなかった。
それはなぜか?
理由は2つ考えられます。
1つは、その子が担任にとっては頼りないということ。
2つ目は、部活動でキャプテンをやっているので、担任が気を使ったこと。
娘が言うには、その子は部活動でキャプテンをやっているので、リーダーはできると思うけれど、担任にとっては、クラス委員としては全部任せられないから頼まなかったのだと思う。
担任も忙しいから、クラス委員の委員会にばかり時間が取れないから、任せられる人に全部任せきりたいと考えたのだと思うという意見。
ポジティブに捉えれば、娘のリーダー性をかってくれたことになりますが、悪い言い方をすれば、都合よく利用しようとしたということです。
私からすると、それが教育の場なのだから、やりたい人、やっても良いと思っている人、そのような人達がやっていくべきだと思うのです。
それが自主性であり、本人のやる気を伸ばします。
先生の都合だけで、上手く事が進むようにメンバーを厳選するのは、教育の場ではやるべきことではありません。
それがこの担任は分かっていないことです。
中高生にもなると、自分で自我が生まれてきます。
当然親の影響もありますから、今回のように、私の娘の場合は塾の時間で難しいという理由もあります。
それに加え、本人の希望の優先順位もあるわけです。
なので、自分がやりたいこと、伸ばしたいこと、そこに注力させてあげるのが、先生の見守りというものです。
■親の話をスルーした悲劇
親の話は聞かなければなりません。
今回の件、私が激怒したのは、私がわざわざ三者面談でクギを刺したのに、それを忘れてなのか、私のことを舐めているのか、自分の私欲のためにメンバーを厳選したことです。
親は子どもにどのように育ってほしいかの願いや想いがあります。
そのために、限られた時間で、限られたことをやっていくのです。
何でも出来る人はそれはそれで優等生なのかもしれませんが、人間誰しもスーパーマンにはなれないので、取捨選択をする必要があるのです。
それを子どもと話し合って決めるのが親です。
それを先生が崩してしまうのは、決して許されることではありません。
私は腹が立ったので、最初の電話で先生に「私から無理だと説明し、娘も塾のある日は難しいからと理由を言い、それにも関わらず押し付けてくるのは、娘に対する嫌がらせですか?」と言いました。
この嫌がらせというフレーズに引っかかっているようで、今回のフォロー電話では、「決して、そのような邪魔をしようと思ってお願いしたわけではない」と言っていました。
これも本心はどうか分かりません。
結局、自分の本音は自分しか分からないものですから。
けれども、怒られてから、自分の行動を変えるというのは、先生という前に、サラリーマンなのだなと思えます。
■学校が時代から取り残されている
私が疑問に思うのは、自分の子どもの頃に比べて、委員の立候補が減っているのだなと思いました。
それに、担任がわざわざ厳選して声をかけまくっているなんて、私には考えられないです。
時代の変化とともに、学校での暮らし方、放課後の時間の使い方にも変化が出てきているのだと思います。
もちろん、私も自分の時に比べて、娘の場合は遠くの塾に通わせているので、変化があると思います。
学校も委員をやりたがらない生徒が多いことの理由を考えなくてはいけません。
それを娘と話すと、「放課後に残りたくないからでしょ」と言っていました。
そうなのです、結局はそこです。
時代の変化とともに時間の使い方も変わってきました。
委員会の在り方を変えない限り、このような教育に変だと思える風習が変わらないと思います。