成績の基準、評定でも、偏差値でも、全国換算順位でも、何でもいいですが、やはり、基準となるものが必要だなと強く思います。
うん、まあまあガリ勉系で優秀だから・・・、こんな曖昧な基準なんて意味がないです。
何をもって優秀?何に対して優秀?誰の基準?
なんて思います。
そもそも、話をしている人の基準ですから、その人の基準が低ければ、誰だって優秀になっちゃいますよね。
■特に優秀でない子の成績なんて興味ないんだけど
今回は、他人の家庭の話です。
優秀(と言っている)な子にはお姉さんがいます。
通知表の評価は、3に2はちょこちょこ混じる位だという。
ちょこちょこ混じるって言うことは、最低でも3個はありそうだなと想像できる。
オール3に2が混じる。
3つあれば、評定は24でしょうか。
評定が20代前半は厳しいですが、何とか公立高校に進学したいと思っているらしい。
その訳は、中学の時にやっている部活が強い学校があるから。
私の考えからすると、突っ込みどころ満載のエピソードではあるが、今日はお姉さんが中心ではないので、スルーしておきます。
一言いうのであれば、このコロナ禍にまだ部活がどうのこうのって言っている感覚が謎ではあります。
■優秀?ガリ勉?何の基準で?
さて、本題は、その妹の話です。
お姉ちゃんは3にちょこちょこあるので大変だと言っているが、妹ちゃんは、その人曰く、「ガリ勉タイプで、優秀で勉強ができる」らしい。
ガリ勉?優秀?勉強ができる?
ちょっと笑ってしまいそうになってしまったが、その人に悪いので、笑いをこらえるのに苦労しました。
そもそもお姉さんがそんな成績なのに、妹が優秀なわけがないでしょ。
お姉ちゃんからしたら、妹の出来は良いのかもしれませんが、それで優秀だの、ガリ勉だの、勉強ができるだの、と言ったら、本当に優秀な人が怒ってきますよ。
まあ、その妹はまだ中学生にすらなっていないので、比較対象にもならず、小学校の通知表なんて適当そのものなので、評定という概念が欠損していますからね。
■偏差値の良さがしみじみと
こういう話を聞いていると、基準となるものが大切であり、それが必要とされることが良く分かります。
偏差値教育になってしまっていると批判されることもありますが、偏差値というのは比較するツールとしては非常によくできています。
なんせ統計解析ですから。母数が多ければ、値としては信頼できると思います。
ここで偏差値の指摘をするのは本題ではないですが、一つ懸念としては、偏差値ばかりが重視されて、本来のテストの内容や配点が無視されているようにも思えます。
特に1教科のみの偏差値はあまり意味を成さないと思っています。
問題数が多く、全て1点や2点の配点であれば正規分布が奇麗にでますが、5点問題ばかりの配点であれば、得点分布が歪であり、解析としてはあまり中途半端です。
なので、それぞれに合った見方をすべきかなと思っています。
■興味のない家庭の話を黙らせる方法
話は戻し、その人の妹の話ですが、他人の言葉には絶対的な比較物がなく、相対的なものが多いので、話半分できかないといけないなと思います。
まあ、偏差値ですら、母数のレベルが違うと同じ50でも違うわけですし、評定といっても学校のレベルによって差が出てくるので、何か基準となっているのかは重要です。
本格的には、全国模試などの順位や偏差値などの方が比較にはよい値なのかもしれませんが、そもそも受ける人も限られていますし、大学受験などでの利用が一般的でしょうか。
学校でのテストなどでは、そのような順位ができるのか、でないのか、最近は順位を出すことすらタブー化されていますから、子の実力を知らない親が多いのかもしれません。
このような話は常あるものだと思いますが、返答に困ります。
いや、絶対、優秀ではないでしょって思っても、それを口に出すことも難しいです。
とはいえ、話を合わせるのも一苦労ですけどね。
別に聞きたくないですし、特にライバルと思っていない、他の子の実力なんて興味ないですから。
そんなときは、もっとも身近な学校の通知表の評定を題材にして、自分の子はこんなもので、ここまでできれば良いのになという話をします。
まあ、半分自慢的な部分もありますが、そのような人を黙らせるのには良い方法です。
通知表の評定で4なんて優秀でも何でもありませんし、3が普通だと思っている人とは私は話をしたくないです。
目標が全く違いますからね。
今日はちょっとした愚痴でした。(笑)