英語教育が徐々に確実に低年齢化してきています。
義務教育の小中学校であっても、今年度から、5、6年生で英語の成績が付けられるようになり、3、4年生から英語学習がスタートすることになりました。
おそらく現場では様々な課題があると思いますが、この英語学習の低年齢化はより進んでいくでしょうね。
ただ、学校での英語教育の問題点を私は感じています。
■小学校から英語が始まったけれど
私が子どものときは中学校から英語が始まりましたし、あまり小さい時から英会話などを習っている子も少なかったので、中学校から一斉にスタートといった感じでした。
私が親になって、子どもに英語教育を早く始めようと考えた時、大人になって英語が堪能な人は幼児期の時から英語教材を手に取っていることを知りました。
何十年も前から先見性のある親は、きちんと子どもには語学教育をさせていることに驚いたものです。
それが、義務教育改革により、小学校で英語教育が始まったので、小学生の時から英語を学習しようと考えている人が増えたのかなと思いましたが、意外と現状はそんなに盛り上がっていないみたいですね。
その理由は、小学校での英語はあまりにも幼稚で、英語の授業というよりも、英語で遊ぶという感じだからです。
その問題点を2つ挙げます。
■小学校の先生のスキルとやる気
小学校での英語教育の問題点ですが、1つ目は、小学校の先生のスキルとやる気です。
今の小学校の先生は、先生になった時に「英語」という単元が無かったです。
また、先生自身も英語が得意でない人も多いですし、どのように教えたら良いのかも試行錯誤のようです。
一番問題だと感じるのが、小学校の授業は児童の能力によって授業のスピードが変わります。
実際にカリキュラムが終わらなくて焦ることもあるみたいです。
その場合、各教科で優先順位が潜在的にあると思うのですが、やはり、優先的に授業を進めていきたいのは、算数、国語、理科、社会の4教科になります。
また、音楽などは専科の先生が行いますから、時間はしっかりと確保しなければなりませんし、図工や体育などの副教科も大切です。
そうなると、必然的に英語の優先順位が下がってきて、他の教科に遅れが出ている場合には、英語の時間を削って、それらの時間調整のために当てられるということになるわけです。
■教科書が無い英語授業なんて
2つ目の問題点は、教科書などがしっかりと配布されていないことです。
英語教育を低年齢化しているわりには、中学校で習う内容はそのまま継続されています。
小学校では、中学校で英語嫌いにならないように、英語を楽しく学習するという中途半端な対応になっているので、きちんとカリキュラムが組まれた教科書が配布されていません。
自己紹介や日記などを英語にすることや、クイズや遊びを通じて、英語という他の言語に親しむことに注力されています。
外国人教師も派遣されていますが、何週間に1回のレベルです。
小学校の先生からすると、外国人教師が来ている時間だけでも英語をすれば良いと思っているのかもしれません。
■これだと偏差値主義は変わらない
結局、このような英語学習では、中学からの英語学習に変化がみられないと思いますし、ペーパーテストの得点主義、偏差値教育は変わらないでしょう。
私自身が英語を苦手になったのは、今から20年以上も前ですが、そこから英語教育は何ら変わっていないと感じます。
かといって、他の教科も変化が出ているのかな?と思うと、それほど変わっている印象はありませんが、私の時と違うと感じるのはテストの回数が増えたと思います。
インプットも大事だけれど、アウトプットも同じだけ大切なので、その点は改善されているように思えます
■謎の教育改革
効果の少ない英語をいくら続けても力はつきにくいです。
英語を好きになることは勉強を嫌いにならないので、それは良いことだと思いますが、結局はテストの成績がものをいうわけですから、点数が取れない授業をいくら繰り返しても意味はありません。
英語に必要な力は決まっています。
リーディング、ライディング、リスニング、スピーキングです。
この4分野の中で最初に身に付けやすいのはリスニングです。
そして、何よりも単語をしらないと他の3分野は全く成果がでてきません。
小学校のうちから英語教育を開始し、グローバル教育をきちんとしようと考えるのなら、英語も宿題でしっかりと単語を覚えて、授業でもテストをしなければなりません。
それをやっていない小学校の英語学習は、幼稚園や保育園で英語遊びをやっているのと何ら変わらないですし、無駄に時間をとっているのなら、他の教科をしっかりと学んだ方が意味があります。
必要なことは中学校で習うことを小学校に格下げすることだと思いますが、それが出来ない文科省はダメですね。
何をもって成績を付けようと思っているのか、非常に謎の教育改革です。