東大生の3人に1人は通っていたという「公文式」、我が家の家の近所にも教室はありますが、私はそこには通わせようとは思いませんでした。
理由は私の経験談からになりますが、私は高校時代に苦悶の教室で丸付けのアルバイトをしていたことがあったのです。
その時の体験から、公文式の考え方に共感が得られなくなってしまったからです。
今となっては、その教室の先生の特質だったかもしれないので、偏見かもしれませんが、どうしても公文式が有望とは思えないのです。
■公文式で計算スピードが上がる
公文のイメージって、プリントをどんどん解いているという感じだと思います。
現代がどのように変わっているか知りませんが、昔と変わっていないのであれば、その手法は同じだと思います。
少し前、東大に合格した人の意見で、計算スピードは非常に大切で、大学受験で計算が遅いと致命傷になる可能性がある。
できれば、公文式などで計算スピードを上げた方が良いということでした。
確かに間違えではないと思います。
東大受験などの場合、簡単な四則計算から難しい計算までを合わせると、1つのテストで6000計算位するらしいです。
それが遅いか、速いかで全く違ってくるということです。
6000計算もあれば、計算スピードが致命傷になるのは間違いでしょう。
そのために、公文式で計算スピードを上げるというのは非常に効果があると思います。
とはいえ、公文式に通っていれば安心というとそれは違うと思っています。
■公文は教えることをしない?
公文式はプリントを大量にするので、計算スピードが上がるのは間違いないでしょう。
けれども、私が丸付けをアルバイトでしていた時の経験が、公文式があまり良くないと思った体験があります。
それは、間違った問題に解説をさせてくれなかったという体験です。
丸付けをしていると、確実に考え方が間違っている子がいます。
私の体験談では、小学生の最大公約数を出す問題でしたが、その子の回答が全く的外れでした。
ある意味、当てものをしているかのようでした。
それを見かねて、プリントの裏に、最大公約数の考え方、出し方を赤ペンで書いてあげたのです。
そうすると、塾長がそれを見て、「要らないことをするな、何も教えなくて良いから。自分で考えさせるんだ。」ということを言われたのです。
え?どういうこと?と思いました。
当時は、高校生だったので、何も言い返しませんでしたが、その経験から、自分の子には絶対公文式には入れないと決意したのを覚えています。
■公文式のコンセプト
公文式の方針について、つい前日、ネットニュースで取り上げられていました。
そこに書かれていた、コンセプトというのが下記の3つです。
・大量の計算問題を速く正確に解ける処理能力
・嫌な作業もコツコツ続けられる忍耐力
・与えられた課題に疑いをもたない力
(「公文」は受験システムへの適応力を上げるだけ?専門家「本質的な意味での学びとは異なる」より引用)
このフレーズはそのとおりだと思いました。
昔も今も変わらないのであれば、この3つのコンセプトは私が感じた経験と一緒です。
小学生の算数であったとしても、その問題の意味や意図、どのように計算するか、考え方など教えれることはたくさんあるのですが、それをしないで、ただ単に大量のプリントをこなしていくというのは考えものだと思います。
実際、このネットニュースでも、公文式は分かる喜びを教えているのではなく、前に進める喜びを教えていると揶揄していました。
本当にそんな感じがします。
意味が分かっていなくても丸が付けば問題ない、理解できていなくても前に進めれば嬉しい、そんな方向性は本当に正しいのか、と思えてなりません。
■子どもが通っている塾などの方針を知ること
東大生の3人に1人は公文式に通っていたのは事実かもしれません。
でも逆に、公文式に通っていたら東大に入れるかといったら話は別です。
確かに計算スピードは速くなると思いますし、それが大学受験などに大きな経験値になるのも間違いないと思いますが、それだけで東大の数学に太刀打ちできるのかと言ったら、確実にあり得ないですよね。
それに、私は今の立場になって分かったのですが、私がアルバイトで勤めていた教室は、生徒が戸惑った方が良いと思っていたのではないかと思えてなりません。
商売的な感覚からすると、生徒が優秀になってそのプリントが簡単になってしまうと意味が無いのです。
下手をすると、やりがいがないと辞めてしまうかもしれません。
少し困ったくらいの方が、時間稼ぎが出来てちょうど良いですし、親も学力が上がって喜んでくれますし、結果的に収入になります。
そんな外道な教育者であった可能性もあり得ます。
全ての教室がそんな体制で無いと思いますし、私自身も公文式を反対するわけではないのですが、通わせる教室は親がきちんと判断・選択してあげないと、そのようなやりっぱなしの教室に通っているかもしれないということです。
塾代が無題になることだってあるのですから、要注意ですね。