『「勉強しなさい」というだけで、子どもは勉強するわけない』というのが私の持論です。
自分自身が子どものころにそうだったように、勉強しろと言われても、何を、どうしたらよいのか、が分からず、単に机に座って、何かを眺めるだけ、ということもありました。
ある時間だけ机に座っていたら親は納得するという家庭は多いはずです。
机に座る=勉強している、ではないのです。
子どもは親に勉強を促され、何となく勉強をする。
けれども、一向にテストの成績が上がらない。
親も、子どもも、どうしたらよいか分からずに、悩む、叱る、叱られる。
そして、塾などの外部機関に助けを求める。
まあ、そんな親子が大勢いることでしょう。
そのような家庭の勉強は、結局、学校の勉強に少し毛が生えた程度。
成績優秀な子になるわけもなく、結局、高校・大学進学時や就職活動時に後悔するわけですね。
一部、子ども自身が自分で気づいて、自ら本気で勉強をする子もいますが、一握り。
そんな、どうしようもない家庭や親子にならないようにするには、親がしっかりと勉強しなければなりません。
勉強と言っても、英語や数学を親がもう一度勉強するわけではないです。
子どもがどのように学習をすれば良いかを考えてあげる勉強です。
■無関心な親の子どもは悲劇
学校の勉強についていけない子や、入試が迫ってどうしようもない子が、急に塾に通いだすケースは非常に多いようです。
けれども、その現象は結果であって、根本的な問題は、親が子どもの学習のことに関心を持たなかったことが原因です。
子どもにとっては悲劇でしかありません。
学校と塾に通っていて、普通に勉強についていければ、それだけでOKと考えている親は多いですが、そんな程度で、自分が望む将来や夢がかなうわけが無く、甘え切っています。
その程度で望み通りの学校や就職ができるのであれば、誰も苦労はしませんし、皆、幸福感に満たされているはずです。
実際は、こんなはずじゃなかった、もっと勉強しておけばよかったという後悔の念が多いわけですが、それって、本人が子ども時代における、本人だけの問題なのでしょうか。
私は違うと思います。
子どもの将来を真剣に考え、いま、この年齢の時に何をするべきか、そして、どのように勉強することが良いのか、を考えてあげることが、親の役割です。
学校や塾に任せて、その方針に従うという、丸投げの人も大勢いますが、それは親としての思考回路が止まっているだけで、子どもは可哀そうです。
人生的な勉強、学習的な勉強、将来設計の勉強は、親と子が一緒になって学んでいくことであり、それをきちんとやってこなかった親子は、子どもが成人になって、働き始めてから、後悔することになります。
教育は学校や塾に丸投げするのではなく、親として自らやるべきことです。
■裕福な家庭が順風ではない
裕福な家庭が、塾や家庭教師などに膨大な費用をかけ、成人した子どもが、あり得ない素行を繰り返すニュースも目にします。
そこまでではなくても、それだけお金があれば、もっと優秀な子に育てられたのになと可哀そうに思えることもあります。
見境なくお金を使えるほど持っていない私目線からすると、非常に羨ましくて仕方ないですし、逆にいうと、お金は持っているけれど、きちんと教育されてこなかった人を見ると不憫で仕方ありません。
お金持ち家庭が必ずしも子どもが優秀になるとは限らないですし、逆に優秀な子を育てるのに必ずしもお金が必要かというとそうではないということです。
■明確なアドバイスができる勉強が必要
学習面における親の役割は、「勉強しなさい」と言うことではなく、「何を」「どのように」「どのくらい」「どういう方法で」という具体的なアドバイスが必要です。
そのためには、親自身が、子どもの学習内容や入試制度などを理解しなければなりません。
そういった勉強が必要であると思えます。
確かに、教育費にかけられる費用が多ければ多いほど、教育に有利に働くことは間違いありません。
けれども、費用をかけたからといって、放置をしている状態であれば、それは思いもよらない方向に進む可能性が高いといえます。
さらに、教育費用もかけず(かけられず)、勉強も惜しむ(何を勉強したらよいのか分からないのも含む)ようであれば、子ども自身が相当頑張らない限り、将来の希望がかなえられない可能性が高いと言えそうです。
裕福な家系で育ては、遺産も含め、それはそれで嬉しいことですが、ある程度の教育費用がかけられるのであれば、自分から子どもの世代で、好転するような努力が必要かと思います。
結局、自分自身のことで精一杯で、子どもに教育的な時間をかけれない親ほど、子どもにとっては不幸の何物でもありません。
お金がないとぼやくまえに、親として今できることをきちんと実践しているかどうかが全てではないでしょうか。