旧帝の大学に合格する人は、都会に住んでいる学生だけではないです。
地方出身で、塾などもあまり充実していないところに住んでいても、東大に合格するレベルまで学力を上げることがでている学生もいます。
もちろん、自学自習をしっかりしているからこそ、実力がついていくわけですが、勉強環境以外でもしっかりやっていることがあると思っています。
それは、「使える先生は徹底的に使う」という精神です。
勉強を周りの環境を理由にする学生は多いですが、充実していたからといって必ずしも成績はあがりませんし、充実していないからといって何もできないってわけでもないです。
塾にもいかず、公立高校しか通えない学生であっても、高校の先生を徹底的に使うというのはとても大切なようで、それが出来ていない学生も多いとのこと。
逆にいうと、自分の周りのツールを徹底的に利用しまくる学生は、成績も反映されていくみたいです。
最近、娘の様子が変わってきたのを感じました。
それは、塾に迎えに行ったら、待たされることが多くなったのです。
以前までは、小テストで不合格点だった場合に、解き直しをしているので、居残りさせられているという感じでしたが、最近は、合格点であっても残っているのです。
何をしているのかと聞くと、先生に質問をしていて、自分の解き方が合っているのか?の確認や、解き方をひらめくコツなどを聞いているみたいです。
先生とそのような話をしていることに驚きと同時に喜びがあります。
■先生は質問を待っている
先日行われた1学期中間テストでも、娘は理科の先生にかなりの質問をしていたみたいです。
テスト返却の時に、「点数良かったよ」とコメントを貰ったくらいなので、先生としても、やたらと質問に来る生徒だと思っていたはずです。
娘としては、理科が物理の範囲だったので、不安があったらしく、気になるところは先生に確認を取っていたと言っていました。
私としては、このような精神は非常に大切だと思っています。
先生って、職業柄、質問をされた時に嫌な気分になる人って少ないです。
やはり頼りにして欲しいと思っているはずでしょうし、その想いは他の大人や職業の人よりも強いと思っています。
ですから、それを最大限に利用するというのが大切だと思っています。
先生は使ってなんぼだと思っており、使い倒すくらいが丁度良いということです。
■質問できる自分自身を褒めてほしい
私が思っているのは、先生に質問に行く状況で、すでに勉強の半分以上は出来ていると思っています。
何もしないで、質問だけいく生徒は少ないと思います。
質問する以上、どの問題の、どこまでは分かっていて、何が分からないのか、何を聞きたいのか、それが明確になっていないと話ができません。
それがきちんと整理されているということは、勉強をそれなりにやっているということです。
勉強をやっていないと、質問も出てこないですし、先生に質問に行くことすらできませんからね。
あとは、質問に行くというのは、自分が自学自習できちんと勉強してきたという自負もあります。
この辺りは難しい感覚ですが、授業で教わっている以上、あまり簡単な質問はやはり恥ずかしいものです。
授業を聞いていないのかな?って思われるのが恥ずかしいと感じるからです。
なので、基礎中の基礎は質問がし難いので、そこは自分でしっかりと勉強するはずですし、質問に行くには聞いても恥ずかしくない内容を聞こうとするわけですからね。
質問をするという行為だけで、すでに半分以上の勉強はできているというのはこの根拠もあります。
■聞くは一時の恥
まあ、先生に質問をするというのは、恥ずかしいをいう気持ちに勝つことが前提ですからね。
こんなことを聞いても大丈夫かな?という想いはみんな持っているので、「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」という、ことわざがあるくらいですから。
それだけ質問するというのは勇気がいる行為だということです。
質問をすると、その分野の知識は広がりますし、定着もしやすくなると感じています。
自分の頭の中だけで考えるよりも、自分の声に出すことや、他人と会話することで、より深く学ぶことができますし、記憶にも残りやすくなります。
勉強内容も難しくなってくると、切り口が一つではなくなってきますから、より考えやすい方向というのを模索するのにも有効です。
塾や習い事をしていないと、学校の先生を使いまくるということになりますし、何か習い事をしていれば、先生の選択肢も増えます。
自分の感覚に合う先生と合わない先生というのは当然いますし、先生によっても教えるのが上手な人もいれば、下手な先生もいます。
分野や内容によっても、先生の差があるかもしれません。
利用する側としては、できるだけ悩みは誰かと共有して、自分の都合のよい進め方をするのが良いのだと思います。