小学生の勉強として重要な順は、算数⇒国語⇒理科⇒社会と言われています。
中学生になると英語が本格的に始まり、数学/英語⇒国語⇒理科⇒社会と言われています
小学生の算数や、中学生の数学/英語が重要である理由は2つあり、一つはこれらの教科は積み重ねが大事だということです。
もう一つは、受験での必須教科になっているということです。
したがって、塾の教科選択でも、小学生では算数と国語、中学生では数学と英語が必須で、その他の教科は自由選択となっているケースが多いです。
ゆえに、統一テストなどをしたときには、問題のレベルがこれらの教科は高く、また、問題レベルに対する平均点も高い傾向にあります。
それだけ。勉強すればするほど実力が付くということが明確であり、逆に言うと、ある程度は問題レベルを上げないと点数がバラつき難い(偏差値が上手く算出できない)ということになります。
さて、特に算数や数学に関しては、数字や問い方を変えれば無限に問題を作ることができますが、いわゆる難問というのは、その時の「ひらめき」が全てです。
よく「全くひらめかなかった」とか「今回はひらめいた」という言い方をしますが、それは本当に正しいでしょうか?
ひらめきだけで点数の上下があり、偏差値の上下があるのなら、ある程度運任せなのは仕方ないのかという話になります。
実は、ひらめきというのは、きちんと理由があるのです。
■ひらめくために必要なこと
エジソンの名言として、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」があります。
私も以前まで勘違いしていましたが、発明はひらめきがあって、それを実現するために努力をし、1:99の割合くらい大変な努力をして成功させるものだと思っていました。
しかし、この言葉の意味は違っています。
エジソン本人は「1%のひらめきがないと、99%の努力が無駄になる」と言っているそうです。
また、解釈としては、「99%の努力があるからこそ、1%のひらめきがあるものだ」としています。
私もどの考えに同感しています。
平凡な生活をしていたら、ひらめきたくてもひらめかないのが現実だと思うのです。
様々な分野から知識を得て、数多くの下実験があり、人以上の努力があったからこそ、ひらめきが出てくるものだと考えています。
■どれだけ準備してきたかでひらめきが訪れる
それは小学生の算数のテストにでも当てはまります。
難問を目の当たりにして、ひらめきたければ、それ相応の努力をしてこなければなりません。
簡単なテスト勉強や、適当な準備しかしてこなかったのに、難問でひらめこうなんて虫が良すぎます。
実際、受験業界でも同じように考えているそうです。
難しい問題に出会ったときに、解を導き出すには、よく似た問題をどれだけ解いていたかで決まると考えている先生が多いです。
子どもからしたら、その感覚は分からないと思いますし、単純に「テストでひらめいた」と思うのかもしれませんが、それには深い関係があり、しっかりと準備した人がひらめくということです。
■日々の努力が実を結ぶ
国語の漢字や、英語の単語、などは、日々の積み重ねがものを言います。
毎日少しずつでも取り組んでいくことが出来る人が、テストで急に聞かれる漢字や単語の問題に答えることができます。
算数に至っては、小学校低学年からの各単元をしっかり理解していないと、高学年や中高生の単元には太刀打ちできないカリキュラムになっています。
大人になってから、子どもの算数のカリキュラムを見ると、よく出来ていると感心します。
何年もかけて、大学入試にむけた実力を身に付けるのですから、凄い仕組みだと思います。
理解できていない単元や苦手な単元があると、後から学ぶものに必ず影響を与えます。
ただ、今分からなくても、不思議と半年後に見直すと理解できる単元もあります。
それは、他の教科や他の単元で別視点で学ぶことで、理解できていなかった単元がおぼろげに分かってくるという感覚なのだと思います。
■テストを有効に使う勉強の意欲が重要
本日は、テストでひらめきたかったら、しっかりと準備する意味を書きました。
人間は誰でも目標がなければ楽な方向に流れる風習があると思います。
テストをいうものがあり、自分の目標を超えるとか、他人よりも良い点数を取りたいという意識が働くからこそ、頑張って勉強する意欲がわいてくるものです。
そして、テストでひらめている人は、必ず何かしらの努力をしているはずです。
効率よく、しっかりと準備する癖をつけることが、長い学生生活には重要なことだと思います。