大雨が続いています。
盆休みですが、コロナ禍で自粛を促されていますが、結局は大雨でどこにも行けない人が多いでしょう。
コロナの感染者数は全く減る傾向はありませんが、そもそも潜伏期間がありますから、雨の影響なんて関係ないのかもしれません。
それよりも大勢の人が発症しているので、大雨によって家庭内感染は増えるでしょうね。
学校なども休みですし。
それが、盆明けになって、会社で感染が広がり、さらに学校か再開されて感染が広がるような気がします。
私が分からないのが、日本はコロナと共存しながら経済活動を続けたいのか、経済を止めてまで感染を抑えたいのか、それが良く変わりません。
コロナは都合よく、感染を広げたり、収まってあげたりしないです。
1日何人までならOKとか、何人以上になると駄目とか、基準があるのか、ないのか、なんだか良く分かりません。
その辺の目標や基準を示してほしいと思いますけどね。
状況によって変化しても構わないと思うのですが、何かをいうと、二枚舌や矛盾や手のひら返しを恐れているのかしりませんが、思っていることを言語化しない。
そんな責任者が多いと思えてなりません。
責任とれない大人なんて引っ込めばいいのに。
■異常気象で考えること
近年は大雨の異常気象が非常に多いと思います。
これはやっぱり地球温暖化と影響しているのかなと思います。
二酸化炭素濃度と地球温暖化が繋がっていることからも、二酸化炭素の排出量と大雨の異常気象が関連していることになります。
ほんと、最近の夏や暑すぎます。
日本がこんなスコールの国になったのも、二酸化炭素の量が影響していると思えると、発展はしつつも、環境にやさしい技術開発が必要なのだなとつくづく思います。
例えば、車社会や発電設備にしても、安全を引き合いに、水素エネルギーや原子力発電の反対をする人も多いですが、それと引き換えに異常気象をもたらしている可能性も考えなければならないでしょうね。
安全と異常気象、安全は直接的に判断しやすいものですが、異常気象によって家が流され、命を落とす人もいます。
間接的過ぎて、それが直接原因ではないという言い方もできると思いますし、異常気象は対策もできるので、それによって、不安全な技術を擁護できるものではないと思いますが、もう一度、二酸化炭素濃度については考える必要があるでしょうね。
■二酸化炭素濃度が主要因なのかな
統計的には、年間を通して、9月頃には二酸化炭素濃度が下がるといわれています。
それは、緑が二酸化炭素を吸って、酸素を出すためです。
したがって、緑が育ちやすい夏場は二酸化炭素濃度が下がるというカラクリです。
意外と地味なのかもしれませんが、緑化運動というのは、将来的には無視できない政策なのかもしれません。
人間は欲深いものですし、技術発展なくして経済成長はないので、必ず、何かしらの科学技術が発達する発明があります。
それによって、エネルギーが使われるので、何かしら地球に地峡を与えるでしょう。
その恩恵によって、自分たちの豊かな生活が成り立っています。
石器時代に戻れとは言いませんし、だれも戻りたくないはずです。
それでも、何十年後、何百年後の人類のため、地球環境のためにできることはあるはずなので、それを真剣に考えるときかもしれません。
■技術発展と環境対応は両輪
私は世の中の発展は好きです。
なぜなら、発展しないと生きていて楽しくないからです。
地球環境だけを考えるのなら、人類が滅びることが一番の早道です。
けれども、だれもそんなことは望みませんし、得もありません。
人間は頭がありますから、何かできることを考えるべきだと思うのです。
でも、世の中の時間軸は動いていますし、今のルールがありますから、それを守りながら、何かできることを考えなければなりませんね。
技術発展と同時に、環境へのサポートは両輪なような気がします。
今後、両方を意識しなければならない時代が必ず来ます。
今は、片方だけでも技術者や経営者として成り立っていますが、片方を守るために、もう片方も考慮することを考える必要性が求められると思います。
これからの時代を担う子どもは大変だなと思えてなりません。
今の大人ができなかった発送を求められるのですから。