高校受験や大学受験に向けて、意外と厄介なのが友達付き合い。
中高生は多感な時期でもありますし、反抗期もありますし、人間関係のネットワークも構築するようになるので、友達とのトラブルが絶えません。
娘もたまに家で文句を言っていることもあり、学校や友達の前では言えないことを私に愚痴として言っているのだなと感じます。
同調することもありますし、聞き流すこともありますし、私の意見を述べることもあります。
もちろん、私も親であると同時に人間なので、その時の気分によって回答が変わっているのかもしれませんが、まあ、大人の感覚からすると、子どもの揉め事やトラブルは些細なことのように映ります。
子供にとっては聞いてもらいたいという気持ちが第一なので、私は基本的には聞くことに徹します。
あまり意見を言わない事の方が多いかなと思います。
というより、一番気にかけているのが、友達という存在を否定しないということです。
これって意外と大事だと思うんですよね。
■小中高のコミュニティ
小中高の学生コミュニティで本当に狭いです。
特に小中学校となると、地域の学校に通うことになりますから、地域の中でのコミュニティですし、子ども同士間よりも、親同士のコミュニティの方が強かったりもします。
親同士のいざこざが子供までに波及するということもあり得ます。
私は親同士のコミュニティを重視していないので、子どもはその分、楽なのかな?それともやりづらいのかな?その辺は分かりません。
私の感覚では地域の学校の親同士なんて、所詮は誰かの噂話をしているだけの関係だと思っているので、そんなところに同調する気がないのです。
他人の成績であったり、性格であったり、問題行動とか、部活動とか、先生の噂とか、まあ、キリがないですが、そんな噂話が好きな人は多いですが、私は建設的ではないので、どうでも良いです。
学校なんて、義務教育だから通っているし、勉強さえしてくれたら、あとは何でも良いというのが私の発想なので。
ゆえに、子どもが友達関係で悩んでいても、話は聞きますが、その中に入ることは全くしないです。
そして、子どものコミュニティにも口出ししないです。
■友達を否定もしないが、肯定もしない
親が子どものコミュニティに干渉しすぎると、誰々と付き合ってはいけないとか、誰と仲良くした方が良いとか、そのグループからは抜けろとか、特定の人を悪く言ったり、良く言ったり、そんなことが起きます。
私はある程度、子どもの話は聞きますが、基本的に子どもの友達関係には何も言いません。
というより、意識的に友達の名前も覚えないようにしています。
何度も出てくる友達の名前は嫌でも覚えてしまいますが、それでも2~3人程度かもしれまえん。
そのようにして、子どもが誰と深く付き合っているか、今は誰と仲が良いかなどを知らないようにしています。
なぜなら、小中の友達は、一生の友達だとは思っていませんし、学校で独りぼっちにさえならなければ、誰と付き合っても問題無いと思っているからです。
ただ、勉強に差し支える友達交流だけは止めてほしいので、それだけは言葉を変えて伝えるようにしています。
ですから、子ども自身も、勉強の邪魔になりそうな友達とは付き合わないようになっていると思います。
具体的には、放課後に毎日遊んでいる子とか、休日になると遊ぶ子、テスト前になっても遊ぶ子などは友達になっていないと思います。
■成績優秀であれば中心人物になれる
そのような意識があるので、私は学校の友達の文句を言ったことが基本的に無いです。
基本的にというのは、過去に一度だけ、いじめの予兆などが発生して、怒って、学校の先生に相談したことくらいかもしれません。
小学校の時でしたが、その時は、ステメというところに、娘の文句を書いて拡散されたので、学校の先生に文句言って、対処してもらいました。
その子とは中学校になっても絶対に付き合うなと言いましたが。
娘も私が唯一怒ったことなので、その時も、「めずらしく怒ってるね」と言っていました。
娘からすると、私の反応に驚いたのかもしれません。
まあ、気にするな的な感じで、スルーすると思っていたのかもしれません。
現状では、これが最初で最後、これ以外では、友達関係で口出ししたことがないです。
小中高の友達関係は親からすると些細なことですが、本人からすると大きな問題であったりもします。
友達第一で学校に通学している子も多いですから、それは仕方ないことですし、子ども特有のグループというのも意識するようになってきます。
人間の歴史から、集団というのは形成されやすいですから、それを変えることは難しいですし、たとえ、自分だけがそれらに属さなかったら、独りぼっちになるだけなので社会生活としては良くないです。
とはいえ、何より私が感じていることは、勉強ができること。
成績が優秀なものは、中高では確実に中心人物になりますから、困ることはありません。
それは常に思っています。