なんでも道しるべ

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【親ガチャの闇?】学歴には親の高年収は必要条件ではなく、頑張り代との掛け合わせ

最近、「親ガチャ」や「東大生の親は高年収」と言ったように、子どもの学歴と親の年収(職業)などがクローズアップされるようになってきました。

確かにこれらの相関は無いとは言いません。

親の年収と学歴は少なからず相関関係はあると思いますが、とは言いつつも、学歴を得るために親の年収が必要条件や十分条件かというと、そうでは無いと思います。

必要条件は別の要素があると思っています。

また、学歴を得るための教育に関しては、条件の加算ではなく、条件の掛け合わせだと思っており、家庭で教育費に十分にお金がかけられない場合は、その分、子どもが頑張らなくてはいけないということです。

それが親ガチャだと言われればそれまでですが、親を選べない以上は、文句を言いたい気持ちは十分に分かりますが、その環境で努力するしかないですよね。

腐ってしまったら、それで止まってしまうのですから。

■学歴には親の高年収は必要条件ではない

親の年収が高いと教育費にお金をかけてくれるのは事実だと思います。

とはいえ、家庭の収入が多いと、子どもの学歴が高いかというと、それは必ずしもそうではないということです。

データ的に、東大生の家庭の収入が多いとか、親の年収が高いなどがあるのも事実です。

このような話があるがゆえに、親の年収と学歴をセットで考える人が増えてしまっている風潮にあると思います。

傾向がないとは言えませんが、それは相関があるだけで、高学歴に親の高年収が必要条件ではないということです。

必ず自分の頑張り代というのが存在するはずです。

その頑張り代の大小が違うということはあるかもしれません。

■家庭状況と頑張り代の掛け合わせ

私は、「家庭の状況」と「自分の頑張り代」を掛け合わせたものが、基準になると考えています。

例えばですが、難関大学に合格できる数値が1000だとしましょう。

過程の状況として、裕福な家庭とお金が厳しい家庭があったとします。

具体的に年収差が4倍あったとした場合、それぞれ、裕福な家庭が100で、お金が厳しい家庭を25と仮に置きます。

そうすると、合格数値が1000ですから、裕福な家庭の人は100に対して10の頑張りで100×10=1000になります。

対して、お金が厳しい家庭の人は25に対して、40の頑張りが必要となり、25×40=1000になるということです。

したがって、同じ数値の1000に持って行く場合に、ある人は10の頑張りで良いものが、家庭環境によって40の頑張りが必要になるということになり、4倍の頑張り代が必要になるという単純計算になります。

■残酷な話、頑張りは報われるわけではない

残酷な話ですが、貧しい家庭の子どもは頑張れ良いのかという話ですが、そう簡単ではありません。

先ほどの話、4倍頑張れば良いんだろうと考えますが、そう簡単に4倍の頑張り代が起きないからです。

自分自身は4倍頑張っているつもりでも、裕福な家庭の子どもだって、他の家庭の子よりも頑張っている可能性だってあるからです。

4倍頑張っていても、4倍の差が付くとは限らないというわけです。

こんな残酷な話ですが、それが事実であり、それが現実的に起こっています。

ですから、東大生の親の年収は高いという相関が現れるということです。

■自分の環境に甘えると抜かれる

では、必ずしも裕福な家庭で育つと、難関大学に行けるのかという点については、当たり前ですが、それも必ずではありません。

自分の家庭状況にあぐらをかいて、それこそ、先ほど示した10の頑張りすらしなかった場合は、より頑張っている人に容易に抜かれてしまうというわけです。

せっかく羨ましい環境で勉強させてもらっているのに、もったいないものです。

裕福な家庭で育っているのに、高学歴の大学に進学できない人がいるのは、そのような頑張りが少ない人です。

したがって、難関大学への合格は、親の収入は必要条件でもないし十分条件でもないですが、頑張り代は必要条件ということになります。

ただし、頑張り代の幅は相当あるので、頑張った、努力不足の指標はありつつも、さらに、家庭の状況によってかけ算が変わってくるので、個々で必要条件は異なってくるということになります。

■未来は変えることができる

まあ、親ガチャの議論のように、子どもは親を選べませんから、隣の家庭はうらやましいなと思う人はいるでしょうね。(私もそう思ったことは何度もあります)

けれども、願ったところで、何も変化するわけがないので、今できることをやるしかありません。

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現状は変えることができませんが、未来を変えることはいくらでも可能です。

勉強は最も逆転が可能なものであり、たとえ、置かれている状況が劣悪でも、頑張り代は無限なので、いくらでもかけ算で上げることができます。

ただし、1日は24時間、1年365日は全員が平等に与えられたものです。

この限られた時間をどう使うかが、本人に委ねられたことなのだと思います。