先日、滑り止め大学に進学する後悔っていう特集をYouTubeで観ました。
本当に生々しい声がたくさん入ってて、親が大学進学の大切さを説くよりも、このような受験生や大学生の生の声を聞いた方が響くんだろうなと思いました。
学歴コンプというのは、ある程度勉強ができて、受験校を選択できる人でないと起きないコンプレックスだと思います。
妥協することは必ずしも悪いことではないと思いますし、自分の許容を超えた努力をして病んでしまうのなら、自分の実力相応の大学に進学すべきだとは思います。
それに、周りの実力を知らずに、自分の努力不足だけが原因だと思いこむのも問題です。
やはり生まれ育った環境というのはどうしようもありませんし、もっというと半分を占めると言われている先天性的な素質の地頭の要素も必ずあります。
必ずしも自分だけの問題ではないということです。
それをしっかり認識したうえで、自分の可能性がある最大限のところを目指すというのは意義があることだと思いますし、学歴コンプになるくらいなら浪人してでも納得のいく答えを出すというのも一つだということですね。
そのような認識をしっかり持って、自分ができることを考えること、そして、親もそれに応えていくことが大切なのかなと感じます。
■子どもは反抗するもの
親がいくら勉強した方が良いと促しても限界があるのではないかと感じます。
塾に行かせている場合は塾にある程度任せるようにとも言われます。
塾に任せるのは一理ありますし、それも大切な心掛けだと思いますが、それだけだと実は全く足りません。
学校や塾というのは平均的な生徒を標準とした指導しかしないからです。
他人よりも前に出たい場合、より優秀な層に入りたい場合、そのような指導だけを期待して待っていても平均的な学力にしかならないということです。
それが期待ラインよりも低いかったら、期待外れになってしまうので、自ら動く必要があります。
子ども自身が動くのは、高校生くらいで、かつ自分自身のことをきちんと見つめている人でないと無理なので、中学生だと期待なんてできないです。
なので、親からの働きかけが必要になってきます。
とはいえ、親からの小言が多くなると、結局、子どもとの関係性が悪くなるだけなので、親としては、焦りはあるものの子どもの様子を見ながら話さないといけません。
それに、大きな問題として、子どもは親の言うことを聞きません。
反抗する子どもがほとんどだと思います。
ゆえに、このような進学先の妥協とか、努力不足などの話をしたところで、まあ、聞かない子どもが多いと思います。
このような話は塾の先生や学校の先生からやってほしいものですが、あくまで他人の子どもにこのような生々しい話なんてするわけ無いですし、もしかするとそれによって人生が変わるかもしれない、病むかもしれないなどを考えると、リスクを負うことをしないでしょうね。
だから、このような一方的に観るYouTubeというのは有益な情報になるのです。
■学歴コンプはずっと続く
少しだけ内容を紹介すると、希望大学に対して、今通っている大学を言うのですが、当たり前ですが、一つ二つは偏差値帯が下の大学に通っている人が取り上げられます。
そのような人は想像どおり、大学生活や私生活で闇を抱えていることになるのですが、それはとても直接的で、いかにも妥協して後悔しているのはにじみ出ています。
バイト先で大学名を言うのが恥ずかしいとか、自分の目指していた大学の人がいると避けてしまうとか、かなり私生活でも学歴コンプが起きていることが分かります。
何より一番辛いだろうなと感じたのが、就活のグループディスカッションですね。
自分よりも偏差値の高い大学生がいると、やはり怯んでしまいますし、発言も積極的にならなくなります。
そして、何よりも、それが原因で落ちたと思いこんでしまうことです。
実際には、一般的には問題ない大学であったとしても、自分が学歴コンプを抱えていることで、それを重く受け止めてしまうってことですね。
これは大きな問題だなと感じました。
■自分の限界を知ることも大事
自分の希望する大学に行くことができれば良いに決まっていますが、世の中はそんなに甘くないです。
いくら自分が努力しても、自分よりも学力が上の人というのはゴロゴロいます。
地元では無双したり、神童扱いされていたりしても、一歩外に出ると、そんな人は大量にいますから、自分が特別に賢いとは言い切れないです。
親としてはこのような現実を話したいところですが、自分が経験していないことは話にくいですし、周りの経験談を言ったところで聞く耳持たない子どもの方が多いでしょう。
このような時に、YouTubeの特集というのは教育に利用しやすいです。
私の場合、常にYouTubeでこのようなコンテンツが無いかをアンテナを張っていて、有益な情報があれば、娘に共有するようにしています。
それによって、娘自身が何を思うか、何も感じなくても構わないのですが、何かを感じ取ってもらえれば御の字です。