子どもの勉強に対して、親があれこれ言うのは、塾業界の先生方からは嫌がられます。
まあ、先生からすると、組織のルールや自分の決まったやり方があるし、親の素人からいろいろと言われたくないのかもしれません。
けれども、結局、子どもの人生は親が責任を持つわけで、先生方は何も責任は取ってくれません。
お金とそれに対する教育をしているだけであり、子どもの人生までは考えてくれないのです。
なので、親の意見を聞かない先生というのは私からすると自己中だと思っています。
もちろん、無理難題を言ってくる親はいるかもしれませんが、その場合は、「うちではお子様は預かれない」と就き返せば良い訳で、それができないということは、教育という仮面を被りながらも結局は金儲けしか考えていないように映ります。
もちろん、企業体に属している訳ですから、売上と利益は必要です。
無償の労働は求めていませんし、サービスも求めていません。
何が欲しいのか、それは、対価にあった教育と、学力を向上させてくれたら良いのです。
合格実績が欲しいのは親も先生も一緒です。
目的が一緒であれば、同じ目標に向かって走ればよいわけで、それを嫌気しているのは、結局はプライドなのか、親を素人として扱っているのか、そもそも教育よりもお金さえ稼げれば良いと思っているのか、という話になります。
教育って、日本人の義務の一部を担っているので、非常に難しい側面があるのも確かですが、先生も生成だと、親も親だなと思うことが大いにあります。
■親も子どもの学力に関わっていく姿勢が大事
子どもといる時間は先生よりも親の方が長いです。
受験生にもなると、家より塾に居る時間の方が長くなることもありますが、それでも、1日の会話量からすると、親の方が圧倒的に多いです。
そうなった場合、子どもの受験に対するモチベーションや、勉強に対する姿勢というのは、実は先生よりも親からの影響の方が大きいと思っています。
親が塾に金だけを払って放置しているとか、先生に任せきりで模試の結果しか見ないとか、そのような親の子どもが成績は上がるはずがないのです。
たまに、優秀な子どもの親が「家では何も言わず、この子は自ら勉強していた」と言う人がいますが、これは半分本当で、半分嘘です。
というのは、もちろん受験学年になると、親は何も言わなくても勉強したでしょう。
それは、そこまでの過程において、地道に勉強の必要性を説いてきたからで、それをしっかりと理解しているから、親から何も言われなくても本人は勉強したということです。
それを、ある一部分だけを切り取って話をするから、「親が何も言わずに勉強した」という結果になるわけです。
人間という生き物は楽をしたい思考があります。
なので、便利なものを開発するという意欲がでるわけで、子どもも勉強しないで成績が上がるのであれば、それに越したことはないでしょう。
したがって、親が何も言わずに最初から勉強をする子どものなんて万に一人くらいでしょうね。
大抵は、どこかのタイミングでしっかりと親が子どもに教育をしている時期があるものです。
■仕事と子育て
私の個人的な尺度として、例えば、仕事の同僚などでは、その人のお子さんの進学先などの話が出たら、それを結構参考にしています。
というのは、子どもの学歴や成績を聞けば、その親である同僚がどこまで教育的であるかが判断できると思っているからです。
たとえ、会社で大口を叩いていたとしても、お子さんがたいした学歴でもなく、たいした成績でもなければ、この人はあまり教育面では能力は高くないなと思えるからです。
結局、教育って一朝一夕では上手く行かず、何年もの長期に渡って積み重ねていくものです。
さらに、塾に通って、大金をかけたからといって、お金と成績が比例するのはごく初期の頃だけです。
やはり、子ども本人が自分自身で学業に興味を持ち、自分自身で勉強に精を出すというのは、親が小さい頃から徐々に教育をして、それが中学・高校になった時に湧き出てくるものだと思っています。
それができない親というのは、仕事においても、その程度の教育力なのだろうなと考えています。
仕事と勉強や子育ては違うという人もいると思いますが、私個人はそう思っていません。
密接とまではいきませんが、それなりに関係しているものだと思っています。
子どもの成績は親に影響を受ける部分が大きいです。
それを塾などの先生に丸投げしていると、期待したどおりの成果なんて出ないでしょう。
期待していても成果が出るかどうかは分からないわけですから、期待しなければ出ないものです。
なので、先生は結構嫌がる人も多いのかもしれませんが、ここはビジネスと割り切って、親としては子どもの学歴の責任を負っていると考えて、しっかりと筋道を出すべきでしょう。