勉強って将来の役に立つの?って言葉、一度は子どもは言うと思いますし、親の大人も子どもの頃に思ったことがあると思います。
もちろん、何も考えずに、ひたすら勉強をしている人もいますが、勉強ってやればやるほど、徐々に辛くなってくるので、何の意味があるのか?と思ってしまいます。
私は、勉強は将来に役立つとは思っていません。
けれども、英数国理社で一番役に立つものを挙げろと言われたら、確実に英語と言います。
それは、自分自身が英語でいろいろな苦労をしてきたからです。
受験は数学のレベル差が決まる側面があり、数学の感覚は仕事をやっていても生きると思う部分も感じますが、実際に公式や定理などが使える時があるかと言われると、まあ、ないですね。
数学センスって、仕事上で直接は影響しないですが、間接的にセンスがある人が頭の回転が良いと感じることは多いです。
もっと直接的に生きる教科、それは英語です。
英語って、所詮語学ではありますが、国語と違って、生活面で上達して何とかなるものではないので、英語は知識があるか、ないか、によって大きな差を感じます。
だから、偏差値の高い高校や大学を狙わない場合、とりあえず英語だけでもスキルアップしておいた方が良いと考えているのです。
■勉強と就職
当たり前ですが、仕事の種類、業種、職種などによって、使う知識は変わってきます。
もちろん、資格をもっていないと就けない仕事の場合は、このような5教科ではなく、資格知識の方が重要になります。
逆に、資格仕事ではない場合は、どうなるか。
その場合は、基礎学力といいますか、地頭がとても重要になります。
どれだけ考えるセンスがあるかで、仕事ができる、できない、が変わってきます。
実際の、習う勉強と、働くことのスキルってちょっと違う部分がありますが、少なからず、勉強ができる人は地頭が良いので、考え方が違ってきます。
それを判断するために、学歴というのが就職のフィルターになっている側面があるのです。
■子ども自身が勉強する意識を
私自身、数年前までは、子どものそこまで学歴を考えていなかったので、とりあえずは英語だけでも人以上のスキルがあれば、就職では困らないのではないかと考えていました。
けれども、子どもと話しているなかで、子ども自身も学歴に興味を持ちだしたのが分岐点でした。
本人にやる気が少しでもあるのなら、お金を投入してでもそれに答えてあげるのが親の務めだと感じたからです。
したがって、本人が勉強のやる気がないのであれば、テストの点数にこだわったり、偏差値にこだわったりする必要はなく、5教科の勉強を一生懸命やる必要はないと考えています。
その場合は、私が社会人になって必要だと感じている英語だけをやってもらっていれば、偏差値の高い高校にも、偏差値の高い難関大学にも進学を狙う必要はないです。
それは常に頭の中に入れていることです。
やはり、本人がやる気を出さないと、成績って上がってこないと思います。
偏差値の高い高校や大学に進学するのはそんなに甘いものではないです。
もちろん、人間なので、やる気が出ない日があって当然ではあるのですが、そのような1日1日の話ではなく、基本姿勢としてやる気がない場合に、親が無理やり勉強させることには意味がないです。
なので、結局は、子ども自身が勉強するか、否か、を判断する必要があると思っています。
■親のやるべき務め
私自身、英語だけでもやっていれば将来に役立つのではないかと考え、コミュニケーション英語ですが、幼児期から取り組ませてきました。
それが、今の中学生の段階では、結構アドバンテージになっています。
勉強って、このような部分があるなと思います。
得意・不得意の前に、好きか、嫌いか、という点が大きくモチベーションに影響してきます。
好きであるものは、少ない時間でも要領よく勉強できますし、効率よく習得できるように感じます。
そういう意味では、勉強は好きになることが一番の勉強法なのかもしれません。
けれども、勉強が好きって思える人は、極々一部の人を除いてはあまりいないです。
なので、学力を上げようと思い、一定の偏差値から上げるためには、無理に勉強するフェーズから、勉強が必要だと思えるフェーズに移行しなければなりません。
その為の手伝いが親には必要なことだと思えるのです。
中学・高校・大学と、それぞれの段階で受験はありますし、数年単位で複数の受験を経験する生徒が多いです。
勉強といつ向き合うようになるか分からないですし、もしかすると、大人になるまで勉強に向き合わないかもしれません。
こればかりは親には予想がつきませんが、どのように考えても、どのようにすると決めても、それに適用できるような備えは必要かと思います。