なんでも道しるべ

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【三つ子の魂百まで】間違った情報で子育てされるほど子どもにとって不幸なものはない

三つ子の魂百までと言われますが、子どもの時に親から受けた影響は大人になっても引き継がれるものです。

ことわざの意味としては、幼いころの性質は一生変わらないということで、3歳までに人格や性格は形成され、100歳までそれは変わらないという意味で使われます。

実際に、科学的にも証明されているようなので、これが本当なら、親の役割としては3歳までがかなり責任を持っていることになります。

私が一番怖いと思っていることは、親が無知であることです。

知らなければ何も対処できないので、知らないことは仕方ないことのように思えます。

実際に、法律などでも、知ってから何年というように、知らないということは仕方のないことのように扱われることがあります。

知らなければ何もできないですからね。

けれども、無知な親に育てられた子供ほど不憫なものはありません。

3歳までが重要とことわざでも科学的にも言われているのに、無知であるゆえに大切な時期にしっかりと子育てしてくれないのですから、子どもにとっては後悔すら出来ない状況なのです。

知らなければ、調べれば良いものではあるのですが、そもそも無知な親というのは調べることすらしません。

もっと言うと、調べ方すら知らないのかもしれません。

そんな親に育てられた子どもは、自分が成長して自我が芽生えた時、自分が大人になった時、親の子育てに愕然とするものです。

親はそれだけの責任があるということを自覚して、子育てしてほしいものです。

■子どもは親しか頼れない

子どもというのは、世の中を知りません。

当たり前のことですが、親の背中をみて過ごしているので、親がやっていることを正義だと思うのです。

私自身も、世の中に出てようやく真実を知ったことも多いですが、子どもの時には何も知らなかったというか、間違った親の解釈が正しいと思い込んでいたことも多いです。

何でも正しいことを全て知る必要はないと思いますが、知らない時に調べることは必要だと思いますし、自分がやっていることが本当に正しいのかというのは自分自身で疑う必要があると思います。

子どもにとって、親の間違った情報で子育てされているほど最悪なことはなく、将来において、最も被害を受けるのは子ども自身です。

子育てを受けている期間よりも、自分自身が働いたり、子育てをしたり、社会人として生活する期間の方が長いので、間違った子育てを受けない環境が大切だと思います。

■間違いに気付ける人生でありたい

人間という生き物は、自分が生きてきた環境が正しいものだと勘違いする風潮にあるようです。

結局のところ、知らないから比べられないというものなのですが、人間は他人と比較して生きている生物なので、知っている人や環境と比べて、自分の置かれた立場が良いのか悪いのかによって感情が揺れ動きます。

他人よりも良い環境であれば優越感を得ますし、悪い環境であれば劣等感を受けるものです。

それが悪いことだと思いませんし、他人と比べるからこそ、資本主義経済が成り立っていると思いますし、競争社会やより良い生活を得たいという向上心が芽生えるものだと思いますが、結局のところ、知らないというのは自分の判断材料を狭めることになりますし、より良い方法を知らないということになります。

知らないものほど楽なことはないですが、もし、子どもに自分よりも良い人生を送ってほしいと願うのであれば、自分自身は達成できなかったとしても、子どもは世間を知ってほしい、成功者の方法を知ってほしいと願い、その方法を知るという姿勢が大切だと思います。

間違いは誰にでもあるので、自分自身や自分の親がやってきたことが間違っているのは仕方ないです。

完璧な人なんていませんし、人は間違いによって、それを改善してより良い環境を形成してきたとおもいますから。

ただ、それをちょっと調べれば分かることを、知らないことを棚にあげて、あたかも自分が受けてきたものをそのまま子どもに与えていくのは成長性が無いと言わざるを得ないです。

世代を超えてより良い人生を送るのには、人は人生の改善をしていかないといけないですからね。

間違っているものを気付くのも一つの成長です。

間違いに気づかないほど可哀そうなことはありません。

間違いを認識して、それを改善して、今後の人生の糧にしていくのも一つの方法です。

正しいことが出来ていなかったとしても、それを改善するチャンスはいつでもどこでもあります。

そのチャンスをつかめるかどうか、気付けるかどうか、それも人間としての度量の一つなのかもしれません。

間違ったものを間違ったまま生きるのではなく、正しいものは何であるかを一歩立ち止まって振り返るのも一つなのだと思います。