英検の一次試験について、コロナ感染が学校関係者で発症したことにより、中止が相次いでいます。
学校等を借りて一次試験をやることになっていますから、受験者は災難です。
皆さん、様々思うことがあると思いますが、私的には三者がどこも準備不足だと思っています。
三者とは、「政府」、「協会」、「受験者」です。
大学受験の二次試験も中止報道がでており、様々な意見が出ていますが、大学受験は受験者はどうしようもありません。
けれども、英検は別です。
他にも対処方法がたくさんありましたし、冬になるとコロナの流行が再発すると言われていましたから、もっと手立てが取れたはずです。
三者ともに他人任せにしていたツケです。
我が家でも娘が準1級を受験しますが、中止の煽りは受けていません。
来週に無事にS-CBTを使って受験予定です。何もなければ受験できるでしょう。
備えあれば憂いなしです。
ただ、これからは、S-CBTやCBTに注目をあびるでしょう。
けれども、注目されても、あまり行動に移さない機関や個人が多いと思います。
それが現実です。そして、それが日本社会の遅れている原因だと思うのです。
■なぜCBTやS-CBT受験をしないの?
そもそも、CBT受験やS-CBT受験は、大学入試制度改革によって発足した経緯があります。
外部資格試験を活用する、1日で4技能を測れないといけない、そんな文科省の考えで、CBT受験ができました。
それが、大臣の不適切発言によって撤回となりましたが、この受験制度は今も残っています。
CBT受験は、完全コンピューターを使った試験です。
S-CBT受験は、コンピューターと紙の中間の試験です。
我が娘のように小学生でタイピングができない生徒は、S-CBT受験になるでしょう。
大学生や社会人であれば、CBT受験でも良いかもしれませんね。
CBT関連の受験のメリットは何と言っても、受験日が選べること、1日で4技能が測れることに尽きます。
このメリットをうまく活用することで、CBT受験と従来の受験を合わせて、1年間で6回ほどの受験チャンスがあります。
また、これからの時代はデジタル社会です。
コンピューターを使った試験に慣れる意味でも、小中学生のうちから、CBT受験に慣れることは必要だと思います。
■普及していないから受験可能日程が少なすぎる
一方、CBT関連の受験はメリットがあるのですが、普及が微妙です。
この冬の時期になって、コロナが怖くなってきたら予約が増えて、受験が難しくなってきました。
夏場は余裕で予約が出来ていましたが、今はすぐに予約が埋まる現状です。
また、準1級となると、学校などの準会場で受験はできないうえに、CBT関連の回数も月に2回程度と少なく、希望日程などを考えると意外と予約が難しいです。
もっと、受験回数を増やしてほしいものです。
政府もデジタル庁などを作っているわりには、いまだに会場受験をメインでやる英検を見て見ぬふりをしているようにみえます。
もっと補助金などをつかって、CBT関連の受験を増やすべきです。
■もっとCBT受験を活用するべき
受験者も、これまでと同じように会場受験を予約するのではなく、もっとCBT受験をするべきです。
結局、CBTの予約が少ないので、運営費用が難しくなり、予約枠が減っていくという悪循環になるわけで、これまでの常識にとらわれない行動をするべきなのです。
確かに、CBTの予約をすると、自分で日程を決めるので、意外と悩みます。
時期を選べるというのは迷いにつながるのです。
だから、会場受験の場合は嫌でも日程が固定されるので、その方が日程都合を考えなくても良いので、安心という感覚もあると思います。
また、コンピューターを使った試験に難色を示しているのも事実でしょう。
分からない受験方法は実力が出せないと思っているのだと思います。
でも、それは受け身ではありません。
自分が変わらなければ、世の中は変わりませんし、成長もしません。
世界はデジタル化社会に移行しつつあるのですから、これまでのように、受け身の日程、紙ベースの受験でなかく、主体的に日程を自分で決めて、コンピューターを使って試験を受けるべきです。
■グローバル化に向けて英語をやるのなら、仕組みの変化にも対応できる力を付ける
受験会場を用意した学校や協会に文句を言っても仕方ありません。
CBT受験という別手法があったのですから、それを予約しなかった自分が悪いと思わなくてはいけません。
また、政府はもっと、個人受験の後押しをすべきです。
コロナも喉元過ぎれば熱さを忘れるようにしてはいけないと思います。
5年程の後に、コロナも収まり、また大勢の人が集まった受験会場での一次試験をやっているようでは、国としても個人としても時代遅れです。
そんな意識の人たちが世界で勝てるわけがありません。
時代は凄いスピードで進んでいるのですから、いつまでも昭和の方式で受験していることですら、グローバル社会に適応するための英語をやっている人にしては甘いです。
その程度の変化に順応できないのであれば、英語をやって、グローバル社会に付いていこうなんて虫が良すぎるでしょう。