中学生になると塾に通う子が増えます。
我が娘も小学6年の時から塾に通い始めましたが、中学生になった途端に急に生徒が増えた印象があります。
私が感じる違和感としては、世の親は通塾に異様な期待をしているなと思うことです。
成績と通塾がリンクしているようなことを良く言うのですが、私の感覚では、通塾は確かに意味はあるけれど、成績アップはあくまで本人の家庭学習であるこということです。
それを間違っている人たちは、塾に行かせれば成績が上がる、塾に通わせれば無条件で勉強するようになると、過剰な期待をされているように思えます。
本人が努力しない限り、成績は上がらないですし、無駄な教育費を塾に与えているだけです。
まあ、塾の先生は商売なので、お金をもらえるなら別にどのような考えの家庭であっても気にされないと思います。
一定数の優秀な学生が入塾してくれて、去年対比の合格実績が上がれば、塾としては満足でしょう。
けれども、本人にとっては別です。
塾に通う前に、自分自身がきちんと勉強できるモチベーションになっているかどうかが第一です。
塾に通ったからといって、成績が上がるなんて大間違いです。
■成績が良いと通塾状況を聞かれる
娘は中学1年ですが、スタートダッシュは決めたいという一心で、1学期の定期テストは頑張りました。
中間も期末もしっかりと準備して、どの教科も平均点90点以上を取ることができました。
これで、文句なしに5教科はオール5をもらえたのです。
まあ、学校のオール5なんて何の勲章でもないので、どうでも良い程ではないですが、過剰な意識はしていません。
それよりも、高校受験、大学受験に向けた勉強の方が大事です。
ある時、ある人と、娘の成績の話になり、通知表の評定の話になりました。
別に隠す必要はないので、評定42で5教科はオール5だったと答えました。
その時の反応は、「え?塾って5教科とも習っているの?」という返答です。
まあ、そこも隠してもしかたないので、5教科習っていると答えました。
話はそれまででしたが、後からふと考えると、なぜあの人は塾で習っている教科数が気になるのかな?と思いました。
■勉強するという本質のギャップ
その人のこれまでの言動を思い出してみると、塾で教えてもらうことや、先生に質問できることに、異様に執着していることがあったように思えます。
私は、武田塾の考えのように、自学自習を基本として、自分で問題を解いて勉強することが第一だと考えています。
もちろん、初めて勉強する内容を、参考書だけで勉強するのは大変なので、塾で勉強した方が効率は良いと思っています。
けれども、実力をつけるのは、復習をしっかりやって、問題集を解きまくることが大切です。
おそらく、その方は、塾で勉強することで賢くなると勘違いしているのだと思います。
■授業を聞いても成績が上がらない
世の中には、今回紹介した方のように、塾で勉強する事が成績アップにつながると勘違いされている親が多いのではないでしょうか。
塾で授業を聞いていたら勉強している、塾で習う教科が必然的に成績アップになる、そのように勘違いされていると思います
塾で勉強するのは、あくまで導入部分であり、学校の先取り授業をしているに過ぎません。
授業を聞いていて分かっている「つもり」になっても、実際に問題を解いたら分からないというようになるのです。
当たり前です。
授業というのは分かりやすく話しているものであり、あくまで導入解説であり、例題も最も易しいものしか扱いません。
けれども、実際のテストでは解けない。
なぜなら、テストは理解している人と、していない人を分けるためのものなので、×を導きだすものだからです。
したがって、普通に勉強しているだけでは解けなくて当たり前です。
その部分を勘違いされている人が多いです。
学生本人もそうかもしれません。
■親がまずは現実を知ることから
ここが家庭と塾とのギャップであり、優秀な生徒と成績が伸びない生徒のギャップです。
ギャップは本人が気づかない限り伸びません。
勉強は自分で寡黙にコツコツやるものだということに気づかないと変わらないです。
それは本人もそうですし、親も同じです。
意識を変えないと、結局は無駄なお金をドブに捨てているだけになってしまうでしょうね。
今回のエピソードで、ちょっと私も感覚が違うことが再認識されました。
けれども、私自身も最初から分かっていたわけではなく、以前なら同じように塾で授業を聞くことが正義だと思っていたでしょう。
やはりYouTubeは偉大であり、このような気付きをさせてくれたことに感謝です。
世の中、賢い子はどのような勉強方法でやってきたのか、家庭ではどのような接し方をしているのか、親の考えはどうあるべきか、が全て解説されています。
子どもの人生を変えるためにも、まずは親が勉強するべきかもしれません。(実際に教科を勉強するのではなく、親としての姿・振る舞いを勉強するということです)