※本記事は、sp1〜sp4で描かれた日常を、隣の部屋から見ていた彼の視点で描いた番外編です。
——お隣の大学生目線——
二浪した。
正直、胸を張れる経歴じゃない。
でも、ようやく大学に行けることになって、
両親は「一人暮らしの練習だ」と言って、このマンションを用意してくれた。
家具も、食器も、全部そろっていた。
自立しろってことなんだろうけど、
料理も家事も、正直なところ何一つできない。
——せめて挨拶くらいは、ちゃんとしなさい。
母にそう言われて、
引っ越し当日、紙袋を持って隣のインターホンを押した。
ピンポーン。
ドアが開いた瞬間、
頭が、真っ白になった。
……可愛い。
いや、それだけじゃない。
全体のバランスが、反則的だった。
目線を上げようとしても、
どうしても、そこに吸い寄せられてしまう。
慌てて視線を逸らして、
とにかく挨拶だけして、すぐ部屋に戻った。
なのに。
部屋に戻っても、
さっき見た光景が、頭から離れなかった。
あの距離感。
あの空気。
夜になっても、落ち着かなくて、
結局、眠りにつくまで時間がかかった。
次の日の朝。
物音で目が覚めた。
……いや、違う。
動いてる。
黒くて、素早くて、
見た瞬間、身体が固まった。
どうすればいいかわからなくて、
気づいたら、隣のインターホンを押していた。
ドアを開けてくれた彼女は、
寝起きで、パジャマ姿だった。
……やばい。
目線の置き場が、見つからない。
事情を話すと、
彼女はため息ひとつで、部屋に入ってきてくれた。
退治は、あっという間。
その間、
床に手をついた彼女の背中と、
ふとした拍子に見える首元から、目を逸らすのが精一杯だった。
「金持ち?」
冗談っぽく言われて、
否定も肯定もできずに、曖昧に笑った。
……普通だと思ってた。
でも、あの部屋、やっぱり違うんだろうか。
その夜。
どうしても、頭が落ち着かなくて。
昔から好きだったギターを手に取った。
歌っていると、
余計なことを考えなくて済む。
壁が薄くないことはわかっていたけど、
気づいたら、少し声が大きくなっていた。
歌い終わったあと、
不思議と、心は静かだった。
昨日よりも、ちゃんと眠れた。
次に会ったら——
今度こそ、ちゃんと顔を見て話そう。
週明けの朝。
ゴミ捨て場で、手が止まった。
……これ、どこに出すんだ?
困っていると、
後ろから声がした。
「それは、こっちですよ」
彼女だった。
今日は、ちゃんとメイクをしていて、
でも、自然で。
頑張って、目を見る。
胸じゃなくて。
ちゃんと、目を見る。
会話は短かったけど、
それだけで、少し自信がついた。
——今日は、ちゃんとできた。
そう思いながら、
大学へ向かった。
▶︎ 次回:ep5
仕事終わりのスーパーで
🧭 今日の道しるべ(番外編)
「惹かれる理由」は、
案外、触れられない距離にあるのかもしれない。
